ライブで盛り上がる、重すぎる歌詞
Bruce Springsteenのライブで「Hungry Heart」が始まると、会場は一気に盛り上がる。特に1番は観客が大合唱し、みんな身体を揺らして笑顔で歌う。だが、この曲の歌詞を改めて見てみると、その内容はライブの陽気な雰囲気とはかけ離れている。
家族を残して去っていく男の物語。妻と子供がいながら、心の空虚さに駆られて家を出る。これは決して、みんなで楽しく歌う内容ではない。
サザンオールスターズの「ラブ・アフェア~秘密のデート」も同じだ。不倫の歌なのに、ライブではみんなノリノリで歌って踊る。音楽には、重いテーマを軽やかに届ける不思議な力がある。そして、だからこそ人々は心の奥底にある「言えない何か」を、音楽を通じて解放しているのかもしれない。
B面に隠された「川」の旅
1980年のアルバム「The River」のB面には、興味深い構造が隠されている。
B面1曲目の「Hungry Heart」には、こんな歌詞がある:
“Like a river that don’t know where it’s flowing”
(行き先を知らない川のように)
そしてB面の最後に配置されたのが、アルバムのタイトル曲「The River」だ。
これは偶然ではないだろう。Springsteenは「川」という象徴をアルバム全体で旅させている。行き先を知らずにさまよう川として始まり、最後には具体的な記憶と喪失の場所としての川にたどり着く。
しかし、その川はもう枯れている。若者たちが自由を感じた川は、経済的困難と失われた夢の象徴へと変わっていた。
1980年—「The River」が描いた時代
「The River」の歌詞は、具体的で痛々しい。
主人公は17歳で恋人を妊娠させ、結婚する。工場で働き始めるが、やがてその工場も閉鎖される。かつて恋人と川で涼んだ夏の日々—自由と希望に満ちていたあの時間は、もう戻らない。今、川は枯れて何も流れていない。
この物語は、1970年代末から80年代初頭のアメリカ労働者階級の現実そのものだった。
製造業の衰退
アメリカの製造業は、1970年代から急速に衰退していた。グローバル化により、工場は海外に移転し、国内の雇用は失われていった。かつて何千人もの労働者を雇用していた工場が次々と閉鎖され、ラストベルト(錆びた工業地帯)と呼ばれる地域が生まれた。
労働者階級の困窮
工場労働は、学歴がなくても中産階級の生活を築ける数少ない道だった。だが、その道が閉ざされつつあった。安定した雇用、適切な賃金、将来への希望—これらが徐々に失われていく時代だった。
若者たちは、親世代が享受したアメリカン・ドリームを実現できなくなっていた。早すぎる結婚、予期せぬ妊娠、経済的重圧。夢を諦め、日々を生き延びることだけを考える。「The River」は、そんな世代の肖像だった。
「見える敵」がいた時代
しかし、当時は少なくとも何が辛いかははっきりしていた。
- 閉鎖される工場
- 低い賃金
- リストラと失業
- グローバル化による雇用の海外流出
- 経営者と労働者の対立
- 夢を諦めさせる「システム」
敵が見えていた。工場の経営者、株主、政治家、システム—誰に怒りをぶつければいいか、何と戦えばいいかが明確だった。
労働組合という武器
だからこそ、労働組合が機能した。団体交渉、ストライキ、デモ行進—これらは意味を持つ行動だった。労働者たちは団結し、自分たちの権利を主張できた。
確かに厳しい時代ではあったが、少なくとも戦う相手がわかっていた。そして、戦うことで状況が変わる可能性があった。
代弁者としてのSpringsteen
だからこそ、Bruce Springsteenのような「代弁者」が力を持った。
彼は労働者階級の出身で、彼らの言葉で、彼らの物語を歌った。「Born to Run」「The River」「Born in the U.S.A.」—これらの曲は、単なる音楽ではなく、世代の叫びだった。
人々は彼の音楽を聴いて、「そうだ、これが俺たちの人生だ」と感じた。孤独ではない、同じ苦しみを抱えた仲間がいる—そう感じることができた。音楽は連帯の場となり、抵抗の手段となった。
「川」というメタファー
Springsteenが「川」を選んだのは偶然ではない。
川は流れる。どこかへ向かっている。そして、若者たちが自由を感じる場所でもある。夏の暑い日、恋人と川で涼む—そんな瞬間は、厳しい現実からの一時的な解放だった。
しかし、「The River」で描かれる川は枯れている。もう何も流れていない。
これは希望の喪失の象徴だ。
かつては流れていた川(夢、自由、可能性)が、今は枯れている(失業、貧困、閉塞感)。若者たちは、もうどこにも逃げ場がない。
そして「Hungry Heart」の「行き先を知らない川のように」という歌詞は、さらに深い意味を持つ。川は流れているが、どこに向かっているのかわからない。目的地のない漂流。これは1980年代の若者たちの精神状態そのものだった。
B面の構造—さまよう川から枯れた川へ
改めてアルバムB面の構成を見てみよう:
B面冒頭「Hungry Heart」:
- 軽快なリズム、陽気な雰囲気
- 「行き先を知らない川のように」
- さまよい、逃避、探求
B面を通じて展開する様々な物語
B面最後「The River」:
- 重厚なバラード、深い悲しみ
- 具体的な「川」の記憶
- 失われた夢、枯れた希望
これは単なる曲順ではない。Springsteenは意図的に「川」の旅を描いている。
行き先を知らずにさまよった結果、たどり着いたのは枯れた川だった。これは1980年代のアメリカ労働者階級の運命を暗示する、絶望的な円環構造だ。
音楽が持つ二つの顔
「Hungry Heart」をライブで大合唱するとき、人々は何を感じているのだろう。
表面的には楽しい。リズムに乗って、身体を揺らして、笑顔で歌う。だが、その歌詞は家族を捨てる男の物語だ。
この矛盾こそが、音楽の本質なのかもしれない。
音楽は、言葉だけでは伝えられない複雑な感情を運ぶ。楽しいメロディに乗せることで、重いテーマが受け入れやすくなる。そして人々は、自分でも気づいていない心の奥底にある「hungry heart(飢えた心)」を、音楽を通じて認識し、解放する。
Springsteenの天才性は、まさにここにある。説教臭くなく、自然に、人々の心に届く形で、時代の本質を歌った。
第一部のまとめ—そして45年後へ
1980年、Springsteenは「行き先を知らない川」と「枯れた川」を歌った。
当時のアメリカ労働者階級は、確かに苦しんでいた。工場は閉鎖され、夢は失われ、希望は枯れていった。
しかし、少なくとも何が辛いかは明確だった。敵が見え、戦う方法があり、連帯する仲間がいた。労働組合、ストライキ、そしてSpringsteenのような代弁者—これらは意味を持っていた。
では、45年が経った今はどうだろうか?
状況はさらに複雑になり、より深刻になっている。働く場所での苦悩から、働く場所そのものの消失へ。そしてAI時代の到来により、ホワイトカラーも例外ではなくなった。
さらに決定的なのは、現代では「何が辛いか」さえ見えにくくなっているという事実だ。
川はまだ流れているのか?
そして、その川はどこへ向かっているのか?
【第二部へ続く】
次回「【第二部】枯れた川、そして見えない敵—45年後の私たちへ」では、現代のAI時代、冷戦後の世界構造との類似、そして「見えない敵」という現代特有の苦しさについて掘り下げていきます。

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