ブルース・スプリングスティーンが脱ぎ捨てた「マジック」 ブッシュからトランプ、そしてミネアポリスへ
先日、ブルース・スプリングスティーンの2007年のアルバム『マジック(Magic)』をあらためて聴き返していた。
Eストリート・バンドと共に作り上げた重厚な音の壁。特に『Girls in Their Summer Clothes』などは、もし日本語の歌詞を乗せたら、そのまま大滝詠一のアルバムに入っていてもおかしくないほどの多幸感に満ちている。
けれど、その美しいメロディというオブラートの内側には、当時のアメリカ社会に対するブルースの鋭い怒りが仕込まれていた。
「手品」を必要とした時代
アルバムタイトルである『マジック』とは、政治権力が国民の目を真実からそらすための「手品」、つまり欺瞞のメタファーだ。
当時のブッシュ政権は、イラク戦争へと突き進むにあたって、「大量破壊兵器」や「自由の守護」といった精巧なストーリーを組み立て、国民に信じ込ませようとした。ブルースはそれに対して、「君が見ているものは、実はそこにはないものだ」と、歌という別のマジックを使って種明かしをしようとしていた。
思えば、2000年代以降のブルースの作品には、それまでとは違う「社会の語り部」としての重みが、はっきりと宿り始めていたように思う。
かつては、暴くために物語が必要だった。欺く側も、そして暴く側も、どちらも「物語」というマジックを使っていた時代だった。
マジックすら使わない時代の到来
しかし、時代は変わった。
2026年1月末に緊急リリースされたとされる新曲『Streets of Minneapolis』を聴くと、少なくとも今のところ、ブルースの戦い方が決定的に変わったように感じられる。
ブッシュの時代には、まだ「マジック」があった。
けれどトランプ以降の政治においては、もはやマジックすら必要とされない。分断を煽る言葉も、力による押し切りも、すべてがむき出しのまま提示される。種明かしが必要な「手品」ですらなく、暴力的な現実そのものが、最初からこちらに突きつけられている。
かつては「暴くために物語が必要だった」が、今は「暴力そのものが物語になってしまった」。
そんな時代に入った、と言えるのかもしれない。
オブラートを脱ぎ捨てた「実名」の告発
この「マジックすら使われない時代」へのカウンターとして、ブルースが選んだ手段は、オブラートを脱ぎ捨てることだったのではないか。
『Streets of Minneapolis』において、彼は比喩やメタファーに逃げることをやめ、実際の事件と、犠牲になった個人の実名を、そのまま歌詞の中に刻み込んでいる。少なくとも、そう受け取れる表現の強度が、この曲にはある。
「ハングリー・ハート」から佐野元春の「SOMEDAY」へとつながった、あの高揚感あるロックのバトン。
あるいは「君は天然色」から「Girls in Their Summer Clothes」へと続く、ポップスの魔法。
それらは今も、間違いなく素晴らしい。
けれど、今のブルースが鳴らしているのは、心地よい魔法ではない。
情報の濁流に飲み込まれ、忘れ去られようとする「一人の人間の命」を、実名という楔で、歴史に打ち込む作業だ。
ロックがジャーナリズムと重なり、魔法が解けたあとの冷徹な現実を歌い始めたとき、私たちは、ブルースが2000年代からずっと準備してきた「誠実さ」の正体を見ることになる。
彼は今、かつてないほど、むき出しの心で戦っている。


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