noteの一通が、時代の転換を知らせていた
スマホに飛び込んできた、noteからの1通のメール。
「AI事業者へのコンテンツ提供を開始します。収益還元もあります。」
ふ〜ん。 最初はそんな温度で読んでた。 いつもの機能追加の延長やろ、と。
でも、何か引っかかって、もう一度読み返した。 するとじわじわと――まるで昔の口コミみたいに――その告知の中にある“熱”が浮かび上がってきた。
まずは正面から見てみよう。 これは、投稿されたテキストコンテンツをAIに学習素材として提供し、収益が発生した場合にクリエイターへ還元するというモデル。
つまり、誰かのAIが“あなたの言葉”を学び、その価値の一部を受け取れる。
それ自体は画期的や。 けど、同時に――そこには手放しもある。
言葉が「あなたのものでなくなる」可能性。 においや体温までが、誰かのAIに再構築されるリスク。
noteのメールには、明るいトーンで「還元されます」と書いてあるけれど、 それは裏を返せば「学ばれます」と言っているわけで。
創出と喪失が、同時に走り出す。
そして、もう一つの喪失は、かつて広告収益の王道だったGoogleアドセンスの構造だろう。 人々が情報を検索し、ページに訪れ、そこに貼られたバナーや広告をクリックする。 その一連の流れで生まれていたマネタイズモデルは、AIの“要約して答えを返す”構造によって、徐々に立場を失いつつある。 つまり、「情報を届けるまでのプロセスに価値があった時代」が、終わりを迎えようとしている。
これからの時代は、「どの情報を出したか」より、「その情報がどんな言葉で語られ、どんな風に記憶されたか」のほうが、重みを持つようになる。
口コミが“星”から“言葉”に戻る時代へ
ここからが本題。 心を動かされたのは、 この取り組みが「口コミの再定義」であることに気づいたときだ。
昔ながらの口コミ。 つまり、昭和の商店街で交わされてたような――
「駅前のあの喫茶店、ちょっと暗いけどホットケーキがふわっふわなんよ」 「八百屋の兄ちゃん、今日はやけに機嫌ええで。セールらしい」
そんなやりとり。 点数もレビュー件数も関係ない。 誰がどう話したか、その“間”にこそ信頼が宿ってた。
今のAIが欲しがってるのは、まさにそこだろう。 数値化された星じゃなくて、温度を持った言葉。
レシピのサイトや飲食店の情報サイトでは拾いきれへんような、 暮らしの中で滲んだ、感情のある口コミ。
noteが学習に使おうとしてるのは、まさにその“湿った”言葉なのかも。
プラットフォームの終焉と、文脈の主導権争い
一昔前、ネットの覇権は「プラットフォーム」が握ってた。
集客して、比較させて、選ばせて、広告で儲ける。 これがネットの鉄板モデルやった。
でも今、AIが登場して何が起きてるか?
「誰かの言葉を要約して、最適解を差し出してくれる」ようになった。
つまり、プラットフォームを“通らずに”、人は情報にたどり着けるようになった。
レシピや観光、レビュー系のサイトも、 そのうち“材料倉庫”になってまうかもしれない。
じゃあ、何が次の主導権を握るか? それは、文脈だろう。
どんな言葉が、どんな想いで、誰によって、どの流れで語られたか。
noteのテキスト群は、まさにそれを内包している。 ただの情報ではなく、誰かの日常の息づかいごと、文章がそこにある。
火は起きるかもしれない。でも、湿った薪が必要だ
この取り組みは、収益モデルとしても面白い。 けどそれ以上に、“文化の始まり”として意味があると思う。
誰かがやらな、新しい時代の火は起きん。 そして、火種が撒かれたからといって、必ずしも育つとは限らない。
けれど、誰かが湿った薪を持ってる。 誰かがそれを言葉にして差し出す。
そのとき、noteのこのモデルが―― ただの「AI学習提供」から、「信頼の経済」の最初の小さな薪になる。
昭和のにおいを、AIの未来へ吹き込む
noteの告知メールを、ただの機能更新やと思ってた。 でもあれは違う。
あれは、昭和の口コミの“におい”を、 AIの未来に吹き込もうとする「最初のくしゃみ」やったんやと思う。
星じゃない。 点数じゃない。 言葉の湿り気。 あのときの間。
AIと人間の“口コミの再戦”が始まろうとしてる。
……それでええ。今はそれで、ええんや。
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