AIが賢いのは、知識が多いからじゃない。
それよりも、「問いの角度を変えたときに、返ってくる答えが変わる」
──そこにこそ、本当の賢さがあると思ってる。
ある打ち合わせのあと、クライアントがふとこんなことを言った。
「AIに何度も壁打ちしてみて、ようやく価値がわかってきたんです」
それを聞いて、こう返した。
「正解を求めるもんやと思わない方がいいです。
どう問いを立てるかを、自分の訓練としてやってみてください。
AIは優秀な後輩でもいいし、よくできた秘書でもいい。
そんな感覚で接したら、もっと変わりますよ。」
たとえば、WordPressで「画像を軽くしたい」としよう。
大半の人が、「おすすめのプラグインを教えて」と聞く。
でも、それって思考の起点が“手段”になってしまってるんや。
本当は、
・なぜ軽くしたいのか
・現状のサーバー環境はどうなっているか
・どんなコスト構造で動いているか
それを共有したら、AIはきっと違う解を出してくれる。
もしかしたら、それは「そもそもそのプラグイン要らんよ」かもしれんし、
「画像じゃなくJavaScriptやで」かもしれん。
あるいは「サーバー移転した方が安くて速くなる」かもしれん。
──手段じゃなく、構造そのものを問うてくる。
それが今のAIや。
問いの立て方が変わるだけで、見えてくる景色が変わる。
「なぜ、これをやるのか」
その問いを持ってAIと対話する人と、
「このやり方で合ってますか?」だけを聞く人とでは、
半年後に圧倒的な差がつくと思う。
何かを解決したいとき、
まず“どうやって”より、“なんのために”を問うてみる。
その一歩が、ほんまにデカい。
……それでええ。今はそれで、ええんや。
コメント