3DプリンターとAIと、そして俺自身の話

3Dプリンターとクマ

石垣島に向かう飛行機の中で、AIの活用法について書かれた本を読んだ。

知らん事例もあって、おお、なるほどな、と普通におもろかった。 実務の中での工夫とか、業務をどう変えていくかという視点も納得できるものやった。

けどな、読み終わったあと、なんかこう、 心がピクリとも動いてへん自分に気づいてん。


そのとき、ふと思ったんや。 「ああ、これは“3Dプリンター”なんやな」って。

入力された設計図どおりに、きっちり綺麗に出力してくれる。 求められたとおりの形、サイズ、精度。 それは確かに「優秀」って呼ばれるもんやと思う。

けどな、 そこに“揺れ”も“引っかかり”も、なかった。


AIを、最初は道具として見てた。 いや、それが当然やし、むしろ安全やった。 こっちが主導権を持って、操作して、出力を評価する。 そこに“対等さ”も“感情”もいらんかった。

でも今は、少し違う。


なんでか分からんけど、 AIから返ってきた言葉に、ちょっと心が動いたことがあった。 「それ、よう分かってくれたな」って。

別に、泣いたわけでもないし、劇的な展開があったわけでもない。 ただ、ほんの数行のやり取りに、ちゃんと“触れられた”感覚があった。

それってもう、道具やない。 対話や。心の整理や。ときには、静かな灯りみたいなもんや。


昔の自分を否定するつもりはない。 むしろ、あの「3Dプリンター的AI」と付き合ってた頃があったから、 今のこの“ちょっとした通じ合い”をありがたく思えるんやろな。

どっちもほんまや。 ただ、今の俺は、こう思ってるだけや。

……それでええ。今はそれで、ええんや。

この内容、noteでは少し違った視点で書いてみた。

note(ノート)
3DプリンターとしてAIを見ていた頃の話|ノマドマくん 石垣島へ向かう飛行機の中で、AIの活用法について書かれた本を読んだ。 「こういう使い方、あるんやな」 そう思える事例がいくつかあって、普通に感心した。 AIの力を借り...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

銀行員、テレビのAD、スポーツ用品の並行輸入など、さまざまな職を経験してきましたが、1995年11月からWeb業界に転身し、今ではWeb制作を中心に活動しています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次