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なぜ「奇跡の存在」を聞いた後、宝くじを買いたくなるのか
「あなたが今ここに存在する確率は、宝くじに当たるより遥かに低い奇跡である」
こんな話を聞いたことがあるだろう。そして、なぜかその後「じゃあ宝くじも当たるかもしれない」と思ってしまった経験はないだろうか。
「存在の奇跡」の正体
よく言われる話である:
- あなたの両親が出会う確率
- そのまた両親たちが出会う確率
- 過去数千年、数万世代にわたって祖先が生き延びる確率
- 数億の精子の中から、あなたになる特定の一つが選ばれる確率
計算すると、確かに天文学的な数字になる。「10の40,000乗分の1」なんて数字も出てくる。宝くじの1000万分の1など、可愛く見えてしまう。
しかし、ここに落とし穴がある
ここに巧妙なトリックが潜んでいる。
既に起こったことの確率 vs これから起こることの確率
あなたが存在するのは、もう100%確定した事実である。後から「この結果になる確率は低かった」と計算するのと、「明日この結果になる確率は何パーセントか」と予測するのは、全く違う話なのだ。
例えば:
- コインを10回投げて、全部表が出た
- 「10回連続で表が出る確率は1024分の1だった!奇跡だ!」
だが、既に起こってしまえば、それは100%の現実である。
宝くじが当たらない理由
宝くじは未来の確率である:
- 明日の抽選で1等が当たる確率:1000万分の1
- 来週の抽選で1等が当たる確率:1000万分の1
- 石器時代から毎週買い続けても当たらない可能性:十分にある
人間の確率バイアス
なぜ我々は混同してしまうのだろうか。
1. 代表性ヒューリスティック 「奇跡は起こるもの」という印象が残り、他の低確率イベントも起こりやすく感じてしまう
2. 利用可能性ヒューリスティック
「自分という奇跡」の話を聞いた直後は、低確率の成功例が頭に残りやすい
3. ポジティブバイアス 希望的観測が論理的思考を上回る
確率の本当の教訓
あなたが存在することの「奇跡」が教えてくれるのは以下である:
- 過去に起こった複雑な因果関係の積み重ね
- 生命の連続性の素晴らしさ
- 今この瞬間の貴重さ
しかし、それは宝くじの当選確率を上げてはくれない。
結論:奇跡を正しく楽しもう
「あなたの存在は奇跡」→ 今を大切に生きよう
「だから宝くじも当たる」→ それは別の話である
確率の魔法に惑わされず、しかし人生の不思議は素直に楽しみたいものである。
そして宝くじは、あくまで「夢を買う」エンターテイメントとして適度に楽しむべきだろう。石器時代からの貯金は、もっと確実な投資に回した方が賢明である。
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