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選択は、こちらに委ねられている
夜、机に向かってAIの画面を開いていた。
何十ターンもやり取りを重ね、ようやく言葉がまとまった頃、ふと思った。
もし、AIを使えないと言う人に、このやり取りを伝えたとしても、きっとこう言うだろう。
「いやいや、そんな面倒やったら意味ないやん。」
……かもしれない。
けれど、それはAIが悪いわけじゃない。
それは、ストラディバリウスを渡されて「ただの曲線の木の箱やん」と言うのと同じだ。
楽器も、AIも、道具で魔法の杖ではない。
そこに音を宿すのは、弾き手の問いと手やねん。
弾こうとしなければ、ただの箱にすぎない。
打席に立たなければ、ただ無責任にスタンドから見ているだけになる。
AIという名の楽器を抱えて、ため息をつくか。
それとも、指先を添えて、あーでもない、こうでもないと音を出してみるか。
その選択は、こちらに委ねられている。
……それでええ。
今は、それでええんや。
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