道を間違えずに、一直線でゴールへ辿り着く人がいる。
地図を一度見たら忘れん。効率よく、迷いなく、まるで答えを知ってるみたいや。
すごいな、って素直に思う。そういう才能も、生き方も、心からリスペクトしてる。
けど、自分は違った。
何度も間違えた。
こっちかなと思って歩き出して、すぐに不安になる。
「さっきの角、曲がるべきやったんかな」
「この道、ほんまに合ってるんやろか」
地図のマークより、空の色とか、風のにおいとか、
そんな感覚ばっかりを頼りにしてきた。
方向感覚が鈍いんやなくて、たぶん、“感性が先に動くタイプ”なんやろな。
でも昔はそれが、恥ずかしかった。
道を間違えるたびに、「またか」って自分を責めてた。
旅も好きやのに、どこか億劫で、心から楽しめてなかった。
そんな自分を変えてくれたのは、「間違いに寛容な人」との出会いやった。
「間違えた? ええやん、寄ってこか」
「この前の道、結局おもろかったな」
そんなふうに言ってくれる人と一緒に歩いた日々が、
“間違いにも景色がある”ってことを、教えてくれたんや。
今では、わざと遠回りを選ぶこともある。
最短よりも、ちょっと気になる道。
正しい道より、「なんか惹かれる道」を歩いてる。
間違えんと辿り着ける人もすごい。
でも、迷いながらでも、自分の足で進めることもまた、ええことやと思う。
正解はひとつちゃう。
自分の歩き方に、自分で意味を見出せたらそれでええ。
焦って刈って、疲れて、それでもまた走って。
今は、ゆっくり育てるときやろ。
……それでええ。今はそれで、ええんや。
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